実家にて

 先日、他界した祖母の四十九日のため、実家に帰省した。雨に見舞われながらも、納骨を無事にすませ、顔なじみの親戚やお世話になった郷里の方々と会食した。バタバタと1日が過ぎていった。

 

 遠方の親戚や姉と姉の彼氏がぽつりぽつりと帰っていった翌日の夜、がらんとしたリビングに僕と父さんだけが残った。タバコを燻らせ、ビールを飲みながら、夜更けまでふたりで会話する。それは僕の実家での恒例の過ごし方であり、一番の楽しみでもある。だが、今回に限って、僕はなんとなく気が弾まなかった。何かを口にしようとすると、都会の暮らしや金銭関係の愚痴になりそうではばかられたからだ。最近読んだ本の話をしてみた。が、そうそう続かなかった。内容が頭に入っていなかったのだ。

 

 「近松門左衛門の『女殺油地獄』って知ってるか?」ふと思い出したように父さんが話し始めた。「NHK教育テレビジョン……今でいうEテレでな、夜の9時から『芸術劇場』ってのがやっててな。毎週見てたんだ。その中でも印象深くてな。兄貴の境遇と重なってて……」それから紡いでいた記憶をほつすように、ゆっくりと父さんは語り始めた。私生子だった伯父のこと、貧困に喘いだ幼少の頃のこと、祖母の兄弟、曾祖父母のこと、僕の家族の歴史について。暫くして、父さんはどこからかペンと紙を持ってくると、位牌を見ながら家系図を書いてみせてくれた。神妙な心地だった。話を聞きながら、心のなかで泡沫のように浮かんでは消えていく多くの命を僕は感じていた。「今の映画やらドラマを見ていて”私と貴方”の目線でしか人生を考えていない物語が多いよ。なんだか寂しいよな」そう言って父さんは話を終わらせた。 

 

 東京に帰る電車のなかで、昨晩の父さんとの会話を思い返していた。Twitterを開くと、あらゆるヘイトが飛び交っていた。バニラエアでタラップを自力で登った木嶋氏、KODAIRA祭での百田講演会中止後の梁英聖氏およびARICに対する心無い言葉に胸が痛くなる。レイシストは対象の人間を一括りに絶対悪だと決めつける。 どうして人の生をこうも軽々しく罵倒できるのか。僕には永遠に理解できない。あらゆる生の歴史がある。良い素行の人もいるし悪いそれの人もいる。当然のことだ。だが、個人の立場の”良し悪し”を人の子の誰が弁別できようか。人の立場を理解しようとせず、自分を棚に上げて、一方的な”正義”によって断罪する。それは悪ではないかないだろうか。そんなことを思った。

  渡部夏樹