エードリアン・トミーネ『Sleep Walk』『サマーブロンド』再読

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 ひとりで部屋の中にいて、酷く寂しくなるときがたびたびある。今もそう。取立てて何もすることがなく、本を読んだり、ギターを弾いたりするのも億劫に思える。だけど、焦燥感が渦巻いている。

 

 ふと思い出して実家から持ってきたエードリアン・トミーネの漫画を開く。エードリアン・トミーネはアメリカの漫画家兼イラストレーターで本国では絶大な人気を誇っている作家だ。雑誌のニューヨーカーの表紙や、バンドのヨ・ラ・テンゴ、ウィーザーのアルバムジャケットのイラストを描いている。彼の描く人々、鬱屈でベタついた日常を生きる人々が好きだ。言いようのないコミュニケーションの不安_取るに足らないけれど致命傷になりえるもの_を繊細に描く彼の作風はこのところの日本の漫画にはないものがある。

 

 彼の作品はレイモンド・カーヴァーの作品を引き合いに出されるそうだ。確かに似ている。物語を解決するようなオチもなく、突然カットアウト、もしくはフェイドアウトして終わるところは、そっくりかもしれない。だけど、決定的に違うところがある。カーヴァーの描く”鬱屈”は、熟年の渇きであるのに対して、トミーネの描くそれは若年のグズグズした惨めさだ。こうとも言えよう。カーヴァーの作品は物語が初めから終わっているが、トミーネの作品はこれから始まるのである。トミーネの作品は物語の序章であり、どこに行き着くかも主人公自身が決定できる余韻を残している。その若さゆえの自由の残酷が物語を彩っている。

 

 若いからなんでも出来る。なろうと思えばヒップスターにだってなれる。それはほとんど嘘だ。なぜなら、夢や目的をもった人生を送れる若者なんて、ほとんどいないからだ。それは若かろうが老いていようが同じことだ。若さとはただの無知だ。無知ゆえの純朴さが、活力を、生活の彩りを与えることはあっても、惰性の生活の重力はそうそう軽くはない。だけど、できもしないことを夢想してぐずぐずと生きていても、いいのだ。と、僕は思いたい。孤独や惨めな嫉妬の中でも、ささやかな楽しみをよりどころに今日を生きることができる。そして、案外、その孤独を抱えているのは自分ひとりではないことに気づくと、将来を悲観することもなくなるかもしれない。

 

渡部夏樹