読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

分断化と寛容の心

「変化」の年となった昨年における、イギリスのEU脱退からドナルド・トランプの大統領選出然り、各国で肥大する反グローバリズム、また極右政党の台頭が今後私たちの暮らしを脅かし得るなどという懸念が、一体どれだけの人々の胸中にあるだろうか。国内を見渡せば、相模原での障害者施設襲撃事件、貧困バッシング、過労自殺原発避難民のいじめ、沖縄でのオスプレイ墜落事故など、日常に潜む不安を増幅させるような事件が相次いだ。

他方、SNSなどで個人の動向を逐一投稿し、それに対する反応など、バーチャル空間での繋がりを求める風潮も相まって、より一層コミュニケーションが希薄になり、見かけ重視、わかりやすさ重視、言い換えれば、手軽なメディアを用いたその場しのぎの関係性が蔓延ってはいないだろうか。精神科医斎藤環氏によると、近年の若者は、他者からの「承認」のために就労、交際、結婚などという行為をする傾向があるという。

このような潮流の根底にあるのは、概して「他者に対する不寛容さ」ではないだろうか。個々人の意識の内に潜む差別や蔑視の心は、バッシングやポピュリストたちによって呼び起こされ、それがいわゆる「分断」に拍車をかけているようにも見て取れる。先日も私のとある友人が、「他人の生活や、その時の心理状況など考えていられる余裕はない」といった趣旨の言葉を口にしていたが、確かにそれもそうだと、妙に納得してしまったのを覚えている。多くの人間たちにとっては、自分と、また自分の所属するコミュニティにおける日々の事象についての思念で精一杯であり、社会がどうとか、街ですれ違う人々についてまで配慮出来るほど寛容ではないのだ。

けれども、そのように欠落した配慮の心は、結局は自分と直接的な関わりがない他人だから気遣いなど不要、自分さえ快く過ごすことができれば人を貶めても構わない、といった思考に陥りやすいのではないか。それが移民排斥を声高に叫び、また貧困者、低所得層の人たちを「自己責任」だと追い込むような言説がまかり通る一つの要因になっていると思えてならない。他者に対する不寛容の精神が、分断の溝をより一層深いものにしている。

主張や意見の食い違う相手に対して、自分の常識や正論を振りかざす前に、一度立ち止まり、複眼的に考察してみる。また、街ですれ違う人々について、少しでも思慮を巡らせてみる。道徳的なこういった心がけが、分断化が進む昨今では、一層肝要なのではないだろうか。

岩間寛佳