読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ラジカルな音楽1

ロックンロールは、別に俺たちを苦悩から解放してもくれないし逃避させてもくれない。 ただ、悩んだまま躍らせるんだ。 

ピート・タウンゼント 

  ”ロックは死んだ”という言葉は奇妙な言葉だ。”死んだ”と言うからにはロックは生き物なのである。他のポピュラー音楽でジャンルそのものを生物になぞらえた表現は殆どないだろう。少なくともポップスは死んだ、クラシックは死んだなんては誰も言わない。大抵どのジャンルだろうと音楽は流行らなくなったというのが普通だ。

 では、何故、死んだ、なんて言葉が使われるかというと、説明するまでもなくロックという表現は表現技巧の卓越さ以上にロックである反骨であるという精神が思想が根幹を成しているからだ。ロックは抵抗運動体でありそのコミュニティの死、精神の死が音楽の死を意味したのである。そこが他のジャンルと決定的に違うところだと思う。考えてみれば生まれてたかが半世紀の歴史でこれほど多用的に拡張したジャンルは他にない。ロックはその貪欲な反骨精神からロックがロックである事を憎み、同族同士、そのテーゼを反証をしあったのである。ロックがロックであるためにロックは死ななければならなかったのだ。

 だから、同じロックは死んだという言葉にせよ、その時代によってニュアンスはまったく違っていた。50年代、権力によって解体された時代に囁かれたロックの死と90年代にカート・コバーンが宣言したロックの死とはまったく違うのだから。さて、では現代囁かれているロックの死は何を意味するだろうという事だ。僕は、少年少女たちが反骨である事を望まなくなったロックという精神の死、もしくはロックというデモストレーションの方法論の変化ではないか、と思う。と、話を続けると長くなりそうだ。それに熟考しながら書いているので筆が遅い。この話題は近いうちにじっくりと煮詰めて書きたいと思う。 渡部夏樹